人気の観光地、北海道
北海道は日本の中でも大人気の観光地です。
海鮮物が美味しいですし、北海道でしか見られない景色もたくさんあります。
また、2016年3月に北海道新幹線が開通したことで飛行機恐怖症の人でも北海道まで行きやすくなりました。
北海道は友人同士、カップル、家族旅行、どのようなグループの旅行でも楽しむことができる場所でもあります。
観光をするスポットもたくさんありますし、目的に応じて北海道の旅のプランも色々と組み立てられるためです。
せっかく北海道に行くならば、しっかりと北海道旅行を楽しみたいものです。
そこで、ここでは北海道の旅行をしっかりと楽しめるように北海道の歴史の中でも農業、特にお米ができるまでの歴史を紹介して行きます。
北海道のお米が持つ歴史
北海道のお米の歴史というのは意外と短いものです。
今では農業も酪農も盛んな地域として有名ですが、元々は不毛の大地と呼ばれ過酷な地域でした。
米作りには適さないといわれていた土地で稲作を始め、今では日本有数のお米の生産地となっています。
本格的に北海道でお米作りが始まったのが江戸時代の終わりからです。
北海道の水田の発祥は1692年の渡島国文月村(今の北斗市字文月)で吉田作右衛門が開田したことから始まります。
そこからしばらく歴史が停滞しており、1869年に開拓使が設置されることでやっと本格的に稲作が進みます。
その後、長く試行錯誤が続き、途中には北海道では稲作が無理なのではないかと諦めるようなこともありました。
しかし、沢山の人が諦めずに努力を続けることによって、1873年に中山久蔵が初めて寒地での稲作を成功させます。
ここから、北海道の稲作の歴史が始まって行きます。
日本有数の米どころへと成長
北海道で稲作ができるようになったところから、飛躍的に成長をして行きます。
もちろん努力なしに行われたわけではなく、最初に寒冷地での稲作が成功した事例を皆で共有して研究開発を進めていった結果です。
しかし、その努力が実り、1920年には北海道米が100万石以上生産されるようになり、祝賀会が開催されました。
その後もどんどんと生産高が増えて行き、1961年には初めて新潟県を抜いて北海道が米の日本一の生産高を記録します。
そして、その後も生産高をどんどんと増やす予定だったのですが、食事の洋風化によってお米が余るようになり生産調整が始まってしまいます。
さらには政府の買い入れによって銘柄間格差ができて、北海道米は最低ランクとされてしまいました。
そこからは生産数を増やすことではなく、その品質を改良することに注力をして行きます。
この取り組みは全国的にも早くから行われ、1984年にはゆきひかりが誕生し、さらには1988年にきらら397も誕生します。
特にきらら397は美味しいお米として全国的にブームとなり人気品種として一躍有名になりました。
こうして北海道はお米の生産量だけでなく美味しいお米を生産する県となったのです。